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しんちゃん国王こと河合信一のプロフィール☘

目次(クリックで該当箇所へ飛べます)
  1. はじめまして!
    1. しんちゃん国王のプロフィール
  2. しんちゃん国王ってどんな人?
  3. しんちゃん国王のヒストリー
  4. 【国王物語】~生い立ち編~
    1. 昭和最後の年:1988年8月30日に東京都大田区に生まれる
    2. 当時は両親不仲な家庭で、兄にめっちゃいじめられる
  5. 【国王物語】~音楽との出逢い編~ 初めてピアノと出会う
    1. 従姉妹が弾くピアノの練習に大興奮!(;゚∀゚)=3 ムッハー
    2. 「ほこら」を無限ループで弾きまくる3歳児
    3. そして音楽大好きな子供に!※ピアノレッスンは2年で脱走
    4. なんで脱走したの??
  6. 【国王物語】~中学生編~ 時は進んで、中二の時に音楽の道を志す切っ掛けが!
    1. 「マジか!大人になったら仕事しなきゃいけないんだ!」
    2. 作編曲家、最初はピアニストを目指す
    3. どうして「作曲家」にしようと思ったの?
    4. 高校へ行かずに大検を取って音大に行くという荒業
  7. 【国王物語】~ネトゲ廃人編~ 中卒で高校へ進まなかったら、こんな生活になった
    1. 毎日が夏休み!勉強の日々!→まさかの展開
    2. ネトゲ廃人の道 そして伝説へ・・・
  8. 【国王物語】~大検編~ まさかのネトゲ廃人で学んだことを活かして大検突破!
    1. 国王が余りにネトゲ廃人なので流石に心配した父が・・・
    2. そうして大検を攻略!
  9. 【国王物語】~音大受験生編~ ネトゲ廃人で学んだことを活かして音大受験突破!
    1. 音大の世界なんて1ミリも縁が無かったので、とりあえず勝手に縁を作って特攻しました!ww
    2. とんでもない事態にwww
    3. 「ああいうのは才能がある人がなるものだ」→「お前やったん?」
    4. やってもみないのに、「どうせ無理だよ」「やめときなよ」と説く無責任な人が多すぎる!
    5. ネトゲ廃人になってなかったら音大に現役で進学できていなかった理由とは???
  10. 【国王物語】~音大生編~ 音大に進学した後は・・・
    1. 作曲家になる為に一番重要なことを一言で言うと・・・
    2. 一流の作曲家が口を揃えて「役に立った!」と言う課題!
    3. 「音楽家で在る前に人格者で在りたい」と思ったキッカケ!
  11. 【国王物語】~作曲家編~ そうして大学を卒業し、作曲家に・・・
    1. 作曲・編曲・楽譜制作など色んな音楽のお仕事を経験!
    2. お抱え作家として1000万稼ぐより、自分のコントロール内で180万稼ぐ方がリスクが少ない
    3. 様々な葛藤はあれど・・・
    4. というわけで、音楽以外にも色々学びまくり、遂には何屋か分からなくなる事態にww
    5. 自分が納得する人生の目的とは??
  12. そうして、作曲家以外のお仕事も色々とやることに!
    1. 音楽を教えるお仕事を始める。
    2. 音感コーチングの専門家に!
    3. 講座形式から年間契約コーチング形式に!
    4. そして開国へ・・・。
    5. 国王が目指している人物像と王国

はじめまして!

「しんちゃんのワクワク音楽王国」国王の河合信一です☘

このページでは、しんちゃん国王のプロフィールをお届けしています。

肩書きやお仕事、生い立ちから今取り組んでいること、音楽家としてこれから目指していることなどを、かなり詳しく読むことができます。

実は僕・・・

タイミングがとっても速い(500文字/分)という特技を持ってまして、油断するとかなり長文になってしまう事が多々なのですが、想いを込めてお伝えしていきますので、興味ある方はぜひぜひ最後まで読んでみてください😊
人物像がだいぶ掴めると思います☘

途中で疲れたら、他のことをしてくださってもOKですからね!でも、また戻って来て続きを読んで「ふむふむこんな人なのか」と感じて頂けたら嬉しいです😌

なぜなら、しんちゃん国王はあなたと仲良くなりたいから!

しんちゃん国王のプロフィール

作編曲家・実用的な音感の専門家・「わくわく音楽王国」国王

東京音楽大学 作曲指揮専攻 映画放送音楽コース出身で、
在学中は服部克久、千住明、三枝成彰、小六禮次郎など各氏に師事してきました☘

現在は、日本には他にない音感・耳コピを始めとする音楽基礎力を
年代・立場・人脈関係無しにいつからでも学べるコミュニティ
「わくわく音楽王国」を建国&運営中♪

その他、フリーの作編曲家として、The Stylistics、The Platters
ライヴストリングス・アレンジや、
舞台・映画BGM制作、TV・ゲーム「進撃の巨人」等の写譜等々
様々な音楽制作のお仕事をしています。

……とまあ、色々とやっておりますが、とりあえず「実用的な音感の専門家」「国王」とだけ覚えておいていただければ大丈夫です。

以下は、生い立ちからの詳しいストーリーを書いてみました。
とても長いので、ぶっちゃけ読むのは大変です。

エッセイ的なのが愉しめる方はオススメです☘

「なるほどこういう人なんだな~」と思ったら、仲良くしてくれたら嬉しいです😌

しんちゃん国王ってどんな人?

しんちゃん国王は、「安心安全の音楽成長空間」というコンセプトで
「わくわく音楽王国」という、大人になってからでも音楽基礎力を磨ける
良質なコンテンツ・教材を皆で使って音楽成長できるオンラインサロン(コミュニティ)を運営しています!

目指している人物像は、愛に溢れた優しい人!(それでいておさえるところはキッチリおさえる)

不安と恐れの無い安心安全の成長空間音楽を楽に・快適に・自由にできる音楽基礎力を高めていく!」というコンセプトの王国を建国し、日夜国務をしています🏰

「音楽を一生楽しみたい!」と思っている方へ向けて、「ワクワク音楽国王がお届けする、音楽人生を100倍楽しくするためのわくわくメルマガというメルマガも配信しています(・∀・)

初回の配信では僕が普段使っている耳コピテクニックを纏めた小冊子も無料プレゼントしていますので、耳コピに困っている方はコチラからご登録ください(・∀・)

しんちゃん国王のヒストリー

ここからは、僕の生い立ちから、ストーリーを細かくお伝えしていきます☘

一人の現役作曲家が、どんな家庭に生まれ、どんな育ち方をし、なぜ作曲家になったのか?

どのようにして作曲家になり、なぜ現在は国王になっているのか?

かなり長いですが、電子書籍エッセイ感覚でお読み頂ける様にしてみました!

ヒューマンストーリーがお好きな方・気になる方は、ぜひ読んでみてくださいね💡

楽しんでいただけたら、ぜひぜひTwitterFacebookで友達になってDMやメッセで感想もお送りください。国王喜びます。

【国王物語】~生い立ち編~

昭和最後の年:1988年8月30日に東京都大田区に生まれる

僕は、父/塾経営、母/公務員、兄/4歳上の、4人家族の家庭に生まれました。

よく「音楽家のご家庭だったのですか?」と訊ねてくださる方が多いのですが、実は両親とも音楽とは全く関係の無い職業に就いている家庭でした。

そんな僕が何故、23年後に作編曲家としてお仕事をすることになったのか??については、順を追ってお伝えしていきます。

当時は両親不仲な家庭で、兄にめっちゃいじめられる

あなたはどんな家庭で生まれ育ちましたでしょうか?

家族円満な家庭でしたでしょうか?

家族の仲が悪いギクシャクした家庭でしたでしょうか?

はたまた、共働きで寂しい想いをするような家庭だったでしょうか。

実は僕は、両親が共働きかつ超不仲で、さらに兄にいじめられまくる家庭で生まれ育ちました。

今ではその経験が有ったからこそ、人の気持ちを自分が体験しているのと同じくらい共感し、理解する力が身に付いたり、「一人でも多くの人を愛したい、幸せになってほしい」という強い想いと拘りを持つ様になれた(そしてそれがとても人生の役に立ち、宝物になっている)ので感謝していますが、当時は中々どうして辛いものでした。

3歳くらいの物心ついた頃から毎晩両親が怒鳴り合い、玉ねぎが宙を飛び、壁には飴色の模様がつく様なイベントが開催されていました。そして帰りの遅い両親の居ない昼間/夕方の密室では兄にいじめられまくる日々を13年くらい過ごしていました。

(ちなみに今は両親仲が良く、誕生日には集まって一緒にご飯を食べる予定を組むほどです。嬉しい!)

そんな家庭に生まれ育ったことで、僕は孤独感や暴力的な関わりを認めたくない性格になり、「この世で悲しい想いをする人が居なくなればいいのに……!」と強く想う様になりました。

この経験と想いが、僕の後々の価値観や理念を作っていくことになります。

また、余談ですが、余りに兄にボコられまくるので、3歳の頃から「どうしたらボコられなくて済むんだろう??」と考えているうちに、人の感じていることや考えていることが、まるで自分のことの様に分かるようになってきて、それが今、身近な人を理解するのに凄く役に立っています。

(兄の名誉の為に書いておきますが、兄も多分寂しくてストレスMAXでどうしようもなく余裕が無かったんだと思います)

そういった意味では、この生い立ちは僕に沢山の人生の宝物を繋いでくれ、より良い大人になるために必要な過去でもあったのです。この家庭に生まれて本当に良かった。両親にも兄にも感謝しています。

【国王物語】~音楽との出逢い編~ 初めてピアノと出会う

従姉妹が弾くピアノの練習に大興奮!(;゚∀゚)=3 ムッハー

両親が共働きだったので、僕と兄は日中、同じマンションに住むおばあちゃんの家に預けられていました。

実はおばあちゃん家には6つ上の従姉妹も預けられていて、あたかも3人兄弟の様な環境で育ちました。

従姉妹は僕の人生を大きく変えてくれました。なんと、音楽家を目指す一番最初の切っ掛けになったのです。

従姉妹は近所のピアノ教室に通っていて、おばあちゃん家に置いてあったクラビノーバでレッスンの練習をしていました。

その音を聴いた僕は、大興奮!(;゚∀゚)=3ムッハー

「ほこら」を無限ループで弾きまくる3歳児

そうして僕は、「何これ面白そう!マジで面白そう!やらせてやらせて!!」と、見よう見まねでピアノを触り始めたのです。

そして、ピアノの弾き方なんて全く知らない僕は、従姉妹がその時なぜか弾いていたドラゴンクエストの「ほこら」で流れるBGMを耳で聴いて、”同じ音がする鍵盤をしらみつぶしに探しまくって、音の順番をなんとか覚え、なんとか弾く”という強硬手段に出ました。ww

そして超頑張ってなんとか弾けるようになった「ほこら」が自分の手から鳴ってるサマが嬉しすぎて楽しすぎて、気づいた頃にはバグったファミコンソフトの様にほこらを無限ループで弾きまくる三歳児になっていました。

 

そして音楽大好きな子供に!※ピアノレッスンは2年で脱走

そうして音楽が大好きな少年になった僕。

今思うと、音楽が好きだったというより「自分の手によって、自分の好きな曲が鳴って、その音を聴ける」のが楽しくて嬉しくて仕方がなかった様に感じます。

そしてそうなると、当然ピアノのレッスンにも通いたくなる!従姉妹もお兄ちゃんも通っていましたし。

そしてしんちゃん少年、5歳くらいの頃に、大好きな両親に「ぼくも ピアノ ならい たい!!」とお願いしました。

が!!「迎えに行けないし、おばあちゃんも迎えに行くの大変だからダメ!」と一蹴されてしまい、「こんなにピアノやりたいのに!くそう!!やりたいこともやれないこんな世の中ポイズン!」と悔しい思いをします。

しかし、よく考えたら、「クラビノーバはおばあちゃん家にあるのだから、教室に通わなくてもピアノはできるじゃないか??」という事に気づき、好き勝手ピアノを触って遊びまくっていました。

※よくある「触っているうちに、聴いた曲は何でも弾ける様になって、頭の中に有る音は何でも作曲できる様になる」という”天才少年・爆誕!”的な事は全くありませんでした。ww

そんなこんなで、一人でレッスンに行き帰り出来る年齢になった小学2年生の頃、ようやく念願のピアノレッスンに通わせてもらえることになります。

「やったー!念願の!!ピアノ教室!!!めっちゃ嬉しい!!!!!」→2年で脱走しました。

なんで脱走したの??

あれはこの記事を書いている今日から数えて23年前のこと・・・

念願のピアノレッスンに通えることになった僕は、音符に色を付けて楽譜を覚える「いろおんぷ」や子供向けピアノ教本「バイエル」「子供の為のピアノ名曲集」などを使って、毎週先生が出してくれる宿題曲を家で練習し、レッスンに通ってました。

そして誰もが知っているであろう「エリーゼのために」という曲の練習に差し掛かった時、その悲劇は起こったのです!

この曲、音楽の専門用語で「ロンド形式」と呼ばれる、Aメロ→Bメロ→Aメロ→Cメロ~という流れで作られているのですが、Cメロに入った所で、なんか左手で「ラ」を連打する所が出てくるんですよ。

で、その楽譜に書かれている「ラ」の所をよく見てみると、「中指→人差し指→親指→中指(以下ループ)」の順番で弾けと指示が書いてありました。

しんちゃん国王(少年)「( ´ω`)??」

しんちゃん国王(少年)「(これ、小指連打で良いんじゃね?でも何か意味があるのかもしれない!そうだ!先生に訊いてみよう!!面白い発見が有るかも!!!)」

しんちゃん国王(少年)「せんせー!これ、なんで、中指→人差し指→親指の順番で弾くんですか??」

しんちゃん国王(少年)「小指連打じゃダメなんですか??」

先生「つべこべ言ってないで、良いから気にせず黙って書いてある通り弾け!」

しんちゃん国王少年「( ´・ω・`)なんで…なんで……(  ´;ω;`)ウッ」

知的好奇心旺盛で、どんな事も納得して弾きたい性格の国王少年は、モヤモヤしているものがあるにも関わらず、それを解決せず放置して弾くことに耐えられず、脱走しました。ww

人には色々なタイプがありますが、こくおーはどうやら、何事も意味を理解して納得して取り組みたいタイプの様です。先生はそうではなかったみたいです。

先生と生徒の相性って大事ですね。教育って、どの先生と出会うかで人生が180度変わってしまう・・!!

あなたはどんなタイプでしょうか?

そんなこんなで、国王少年はピアノ教室を脱走しましたが、ピアノは大好きで、その後もカッコよく合唱の伴奏を弾く学校の先生などに憧れて、自分の身の丈に合わないレベルの楽譜を貰ってきては、おばあちゃん家でひたすら反復練習してピアノを楽しんでいました。

(通ってた教室には読譜のレッスンが無かったので、楽譜を読むのが超苦手で2拍ずつ丸暗記x100小節みたいな修行僧の苦行の様なことをしていました。笑
本当に音楽が好きだったんだなぁ。

それを考えると、ピアノを教えるなら最初の時点で初見や読譜のレッスンを入れた方が絶対音楽がやりやすくなるし、その結果楽しくなると思っているので僕は最初の時点で読譜力を学ぶのは超大事だと思っています)

【国王物語】~中学生編~ 時は進んで、中二の時に音楽の道を志す切っ掛けが!

「マジか!大人になったら仕事しなきゃいけないんだ!」

そんなこんなの幼少期を過ごしていた僕ですが、14歳になり、中学二年生になった時、人生の大きな転機になる出来事がやって来ます。

それは、社会科の担当で学年主任をされていた先生が行ってくれた進路指導の授業で「将来設計をしてみよう!」という授業でした。

これが切っ掛けで、僕は真剣に音楽家への道を志したのです。

どんな授業だったのでしょうか?

凄いですよ!

なんと、先生が用意したプリントに、「80歳までの人生設計を考えて書き込んでみよう!」という内容だったのです!

他の学校でもやってるのかな?あなたもやりましたか?

しかも、先生が「おまえら世の中にどんな仕事があるか分からないだろうから、予め200個くらい職業のリスト作ってきたぞ!まずはこれを参考にしなさい!」と、これまたマニアックなプリントを授かったのです。笑

その時、僕はあることに気づきました!

しんちゃん国王(少年)「そうか!よく考えたら、大人になったら仕事しなきゃいけないのか!!しかもその確率、100%!

しんちゃん国王(少年)「仕事をするとなると、朝9時から17時頃まで働いて、行き帰りで2時間…ウホー…一日10時間近くも仕事の時間なのか……。」

しんちゃん国王(少年)「え?ちょっと待てよ。」

しんちゃん国王(少年)「これ・・・・・」

しんちゃん国王(少年)「一日の1/2近く働くことになるってことは、それが好きな事じゃなかったら人生マジ地獄になるんじゃね・・??これは真剣に考えないとヤバイ。

しんちゃん国王(少年)「必ず仕事をすることになるなら、働きたくないでござる好きな事を仕事にしたい!」

というわけで、自分の好きなこと…音楽を仕事にしよう!と決めました。(それを仕事にできるかどうかという発想は無かった)

あなたが子供のころになりたかったお仕事、好きだったことはなんですか?☘

作編曲家、最初はピアニストを目指す

最初は大好きなピアノを仕事にしたかったので、ピアニストを目指していました。

しかし!

なんと、同級生に片桐くんという、ピアニストを目指しているわけでもないのにピアノがムチャクチャ上手い男の子が居て、「こ、これはヤバイ道だぞ・・・ざわ・・ざわ・・・と焦りまくりました。

さらに追い打ちのごとく、音楽の世界の東大的存在である藝大の付属高校の学校説明会と卒業演奏会に行ったら、なんと、まるでサーカスのごとく指が分身しているんじゃないかと錯覚する様なトンデモナイ動きで演奏しているではありませんか!!!

しんちゃん国王(少年)「(д) ゚ ゚」

これには開いた口が塞がりませんでしたwww

しんちゃん国王(少年)「おい」

しんちゃん国王(少年)「これは流石にヤバイだろ常識的に考えて」

しかし国王!

実は謎の信念を持っていました!!!

その信念とは、「この世には無理なことなんてほとんど無い。必要な事を明確にして、徹底的にやり切れば、必ずできる!」という謎の信念です!(このマインドは超役に立った!今でも大切にしています。)

しかし流石に、ピアニストの道は「これは流石にヤバイだろ常識的に考えて」という感想をもよおしたので、こんな事を考えてました。

しんちゃん国王(少年)「こ、これは無理ではないと思うけど

しんちゃん国王(少年)「今からこの世界でプロになるには20年単位くらいの時間と鬼のような練習をし続ける必要がありそうだぞ……。」

しんちゃん国王(少年)「このくらいのレベルに達した頃には35歳で、そこから音大か・・・それはちょっと嫌だな……。」

ということで、とりあえずピアニストの道はやめることにしました。

ただし一日の1/2近く働くことになるならば、それが好きな事じゃなかったら人生マジで地獄になる」という問題は全く解決していないので、音楽家になることは心に固く決意していました

どうして「作曲家」にしようと思ったの?

そうして国王少年は、ピアニストの道はやめましたが、自分の納得する形で何らかのプロの音楽家の道へ進む事は決めていました。

そこで、何かしら音楽のお仕事で、一生頑張り続ける事になっても(自分の精神的に)苦しくならないものを探していました。

その時、しんちゃん国王はこんなことを考えていました。

しんちゃん国王(少年)「今の年齢(15歳)から始めて、社会人になる年齢(23歳)にプロの音楽家になれている人って居るんだろうか?」

しんちゃん国王(少年)「その人はどんな仕事をしているんだろう??」

と同時に、当時大好きだったジブリ映画ドラゴンクエストなどのゲームの音楽を聴いていて、ふと、

しんちゃん国王(少年)「作曲家っていう仕事もあるのか~。」

しんちゃん国王(少年)「音楽のプロとして色んな作品制作のスタッフから頼られて」

しんちゃん国王(少年)「自分の磨いた能力をふんだんに奮って、映画やゲームの音楽を作りまくる人生……。」

しんちゃん国王(少年)「うわーうわーーこれは楽しそうだな~。」

しんちゃん国王(少年)「でもその前に、これくらいの歳から勉強し始めて作曲家になっている人って居るのかな?俺には藝大のトラウマが有る。」

しんちゃん国王(少年)「よし、とりあえずPCで調べてみるか。」

しんちゃん国王(少年)「( ゚д゚)<居るじゃん!」

(得に印象的だったのは、当時朝ドラや大河ドラマの音楽で活躍されていた岩代太郎さんという作曲家で、まさに中学2年生のときに作曲家になることを決められた方でした)

しんちゃん国王(少年)「ということは、やるべき事さえ徹底的かつ完璧にやれば、作曲家になれることは証明されているってこと!」

しんちゃん国王(少年)「もし作曲家になれなかったとしたら、それは”そもそもその目標が無理な目標だった”ということではなく、こくおーの努力の問題!」

しんちゃん国王(少年)「努力次第で作曲家になれる事は保証されている・・!」

作曲家になりたい!なる!」と勝手に決めている前提が有ると、中々ユニークな発想になる様です。(笑)

しんちゃん国王(少年)「でも、本当に作曲家になったとして、作曲家としての生活を一生送ることになった場合、納得感を持って生活できるかな??

しんちゃん国王(少年)「あ、このゲームの音楽作ってる人(岩代さんとは別の人)、日記ブログやってるじゃん!」

しんちゃん国王(少年)「どんな生活してるんだろ?ふむふむ……」

しんちゃん国王(少年)「ゲーム会社からゲームで使う音楽依頼されて、パソコンで音楽作ったり、スタジオで歌をレコーディングしたりしてるんだ……。」

しんちゃん国王(少年)「締切に追われてる時は大変そうだなぁ……でも充実してそうだなぁ……。」

僕はしばし、その生活ぶりを将来の自分に重ね合わせて、その生活ぶりが楽しくてワクワクするかどうか?じっくりイメージしてみました。

しんちゃん国王(少年)「ゲームや映画を作る為に、色んな分野のプロフェッショナルが集まって……。」

しんちゃん国王(少年)「その中に自分は作曲家として参加して……。」

しんちゃん国王(少年)「みんなで力を合わせて一つの作品を作り、世の中の人達に喜びや楽しみの時間を届ける仕事……。」

しんちゃん国王(少年)「やばい!!めっちゃワクワクする!!!」

しんちゃん国王(少年)「これだったら一生やり続けても納得感ある人生になりそう!」

そんなこんなで、国王少年は、時間を掛けて自分の内面とじっくり丁寧に向き合い、自分の頑張る道を見定めたのでした。

そして「将来の仕事は作曲家にする」と決めました

高校へ行かずに大検を取って音大に行くという荒業

そこから先は音楽以外の事を学ぶ気はまるでありませんでした。

なんせ、それまで音楽のレッスンはおろか、音楽の専門的な学びを何一つやっていなかったので、「ここから作曲家になるなら、徹底的に音楽を学ばなければいけない!」と思っていたからです。

そして中学3年生に差し掛かるころ、ある事件が起こりました。

中学校から「進学する高校を決めて提出してください」と言われたのです。

しんちゃん国王(少年)「(  ´ω`)???」

国王少年は疑問に思いました。(どっかのピアノ教室のエピソードで聞いた様な話だ)

しんちゃん国王(少年)「なんで高校に進学する事が前提なんだ……?」

しんちゃん国王(少年)「中学以降の進路は自分で選べる……ってことは、自分の将来に一番役に立つ進路を選ぶのが真っ当な考え方だと思うんだけど……?」

当たり前のように「高校へ行く」という選択をする同級生が多いこと

そして、その理由が「みんな行ってるから&中学を卒業したら高校へ行くものだから」という空気であること。

彼らの選択を良い悪いと言うつもりは全く有りませんが、ただ一点「あなたも高校へ行きなさい。」と働きかけられる状況に、僕は強い疑問を抱きました。

僕の考えはこうでした。

しんちゃん国王(少年)「大人になった自分の仕事は作曲家にする!(勝手に決めてる)」

しんちゃん国王(少年)「でも、今まで音楽の専門的な教育は殆ど受けてこなかったから」

しんちゃん国王(少年)「ここから作曲家になるなら、良い師について、やるべきことを明確にして、大量の時間を使って音楽を徹底的に学ばなければいけないのは、自明の理!」

しんちゃん国王(少年)「しかし音高(音楽専門の高校)進学は、説明会の感じだと、来年の時点で入試をパスするのは難しいだろう・・・。」

しんちゃん国王(少年)「音高進学が現実的じゃないなら」

しんちゃん国王(少年)「高校は行かずに、出来た時間を音楽の勉強に全部注ぎ込んだ方が得策じゃね?

当時は至って真剣で、本気でそう思っていましたが、今考えると結構裏口の進路で、先生方は戸惑われたと思います(^_^;)

しかしやりたい事が決まっていて、それを実現する為の一番良い方法があるなら、それがどんなに世間一般の常識から外れていても関係ない(「みんながそうしてるから」という理由だけで合わせる必要はない)、というのが僕の発想であり信念でした。

ということで、

しんちゃん国王(少年)「音楽家になる為に、普通科の学校へ進んで、”3年間国数英理社を勉強しよう!!”という発想は正気の沙汰じゃないだろ常識的に考えて」

という結論に至りました。

そんなこんなで、理由も特に無く「そういうものだから」というオーラでしきりに普通科の高校を進められる空気に対しては、疑問を抱かざるを得なかったのです。

そして僕はどうしたかというと、全てガン無視して進路希望の紙に「希望進学高校無し」と書いて提出したんですが……それがなぜか大問題になり、担任の先生と校長先生に呼び出され、なんと同級生が教室へ登校する中、僕だけ毎日校長室へ登校する事態になりましたww俺が間違ってるのかーい!なんでやねん!(何も説明してなかったし、今なら先生方の心配だったお気持ちも分かりますよ・・!)

しかしありがたいことに父の協力や応援などを得て、色々と作戦を立てて一人ずつ説得し、最終的には全員応援者になってもらうことに成功しました。

そしてさらなる作戦!

そのまま卒業して大検(当時存在した中卒者向けに大学入試受験を認可する資格)を取得し、高校はスルーして音大へ進むという荒業に出ることにしました。

こうして国王少年は、せっかく社会が張ってくれたレールをツルハシで採掘する鉱山夫のごとく全力でぶっ壊し自分のお好みのレールを敷き、その上をε=ε=( ・∀・)ポッポーと走りまくる人生に入るのでした。ww

でも、僕は声を大にして言いたい!

やりたい事が有るなら、いつからでもどこからでも関係ない!

それを実現させることを前提に、(本当に)必要な事を全て全力でやり続けたら、絶対どこかのタイミングで実現するのに、周りの人の言うことを鵜呑みにしてやらないなんて勿体無い!

そして僕はこうも思います。

一番大切なことは、自分の人生に納得感が得られること。

だって、自分の人生は自分のものなんだから。

一番大切なのは、「(○○になる事は決まっている)どうしたらなれるだろう?どうしたらできるだろう??」と建設的な方向でのみ考えることだと思います。

もしあなたが音楽や、音楽以外でも何かについて「本当は○○ができるようになりたい」「○○になりたい」「けど、本当になれるのかな?」と思っているなら、このブッ飛んだ発想をプレゼントしたい想いでいっぱいです!!!(はぁはぁ……ついアツくなってしまいました)

あと、もしあなたが既に心に決めていることがあるならば、その願望の実現を全力で応援したいです。

さて、このブッ飛んだ発想から始まった行動がどこまで行っちゃうのか?!

引き続き、ストーリーをお送りしたいと思います(・∀・)

……というわけで、しんちゃん国王は、周りの大人を全員説得し、高校はスルーして大検取って音大へ進むという荒業に出ることになりました(・∀・)

続きは中学を卒業した後のお話から!チャンネルはそのままで!📺

(……本当は母だけどうしても説得できなくて最終手段(というか強硬手段)に出たのですが、その話は尋常じゃなく長くなるので割愛します。)

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【国王物語】~ネトゲ廃人編~ 中卒で高校へ進まなかったら、こんな生活になった

毎日が夏休み!勉強の日々!→まさかの展開

さて、話が飛んで、晴れて中学を卒業しました!

しんちゃん国王少年も、もはや国王青年!というわけで……

高校へ進学しなかったしんちゃん国王青年は、こんな生活を経験しました。

それは、今までは朝8時に起きて支度して、8時半には学校へ行っていた平日の月曜日のこと。

まず、目が覚めると10時頃。w

耳からは、自宅近所にある中学校の体育の授業で、先生が笛を鳴らし、中学生達が声を上げて準備体操をしている声が聞こえてきます。

しんちゃん国王(青年)「( ゚д゚)ムホー! 同い年のみんなが学校に行ってる時間、俺は家に居る……!俺が選んだ、俺が全責任を背負う人生がマジで始まった!( ゚д゚)ムホー!

しかし実は!

最初は、毎日がパラダイス瞬間的な違和感が半端じゃありませんでした。

まあ、それは考えても仕方が無いので(自分が自分の責任の下に選んだことだし)、国王青年は自分のやるべき事に集中することにしました。

メルマガの該当テーマ連載でも少し触れていますが、実は国王青年、音大生になるまでの「ぼくが かんがえた さいきょうの計画」を紙にまとめていました。

ので、まずはそれに従って、大検を取る為に高校科目の最低限の勉強を始めると見せかけて、「まずは充電期間!これから猛勉強するから、その前に”もういいや”ってなるくらいトコトン遊んで、遊びへの未練を断ち切ってやる!」と、ネトゲ廃人の道へと進むことにしましたww(当時真剣だったけど、今思うとマジで発想がブッ飛んでた)

(ちなみに「同級生が学校に行ってる中、自分だけ自宅に居る状況」には、最初は尋常じゃない不安感が有ったのですが、「他人は他人、自分は自分、俺は自分にしか生きられない人生を生きるッ!」強く思い込むことにし、この状況を「自宅学校」と都合の良い様に呼んでいました。(笑))

ネトゲ廃人の道 そして伝説へ・・・

しんちゃん国王(青年)「今まで音楽の専門的な教育は殆ど受けてこなかったから、ここから作曲家になるなら、徹底的に音楽を学ばなければいけない!」

とか真面目なことを言っておきながら、ネトゲ廃人への道へ堂々と進む国王青年。

でも、マジで「まずは充電期間!これから猛勉強するから、その前に”もういいや”ってなるくらいトコトン遊んで、遊びへの未練を断ち切ってやる!!」と思っていました。

実は国王、小学6年生から、兄の影響でとあるネットゲーム(Ultima Online…知ってる人居るかな?)にハマっていたのです。

中学を卒業するまでは、朝8時に起きて8時15分に家を出て、小学校の授業が終わって15時半頃帰宅し、友達と遊ぶ日以外は夜の2時くらいまで毎日ネトゲをするという、中々の廃人プレイを決め込む生活を送っていました。

いや、本当に面白かったんです。あのネトゲ。

それが、学校が無くなって朝からフリータイムなのですから・・・あとはわかるな?(笑)

毎日13時間~16時間近くネトゲをやっていた気がします。

でもこの経験が良かった!

この経験から得られたものは本当に沢山ありました!!(負け惜しみではありません)

なんと、得られたこと、4つもあります!

まず1番良かったのは、年齢・性別・職業・地位一切関係無く、対等な立場で大量の人と交流を深められたことでした。

当時のオンラインゲームの世界では、現実の話題はタブーで、完全にゲーム上のキャラクターとしてプレイするのが暗黙の了解でした。

したがって、現実世界では先入観が掛かってしまう様なポイントが完全に排除される環境だったのです。

つまり、全ての人が、全く偏見無く、人と人として、対等にコミュニケーションを取ることのできる文化が土台にありました。

その人の、人とナリである、「この人は好き・嫌い、凄い・大したことない(こういう人格能力評価的な言い方は僕は好きではありませんが便宜上今回は使います)」という評価は、完全に心の内面だけで判断される世界だったのです。

そこで国王青年は、全く先入観無く肩書きがなんであろうと、年齢がどうであろうと、シッカリしている人はシッカリしているし、そうじゃない人はそうじゃない。」

「大切なのは、その人の内面が事実どうなのか?で、人は、その人自身(思考や行動や習慣)を真っ直ぐ見ることが本質的」という価値観を持つ様になったのです。

2番目に良かったのは、「ペーペーの実力の人が、どうすればトップレベルの実力になれるのか?」ということを学べたことでした。

なんと国王青年、ゲームに余りにハマリ過ぎて、いつの間にかゲーム中の1対1で戦う対人の分野で全世界2位という世界ランカーになってしまったのです\(^o^)/

でも、最初は本当に弱っちくて、当然やられまくっていたんですよね。

しかし最終的に世界ランカーになったとき、「ペーペーの実力の人が、どうすればトップレベルの実力になれるのか?ということを頭でも身体でも理解しました。

(答えは、モデルとなる超凄い人のワザを観察しまくること、吸収しまくること、自分との違いを徹底的に研究して、徹底的に練習して無くすこと、でした。「超すごい人」の考え方・実際のワザ・やってきた事、という情報は本当に大事!)

実は別ゲームでも(流石に世界2位というほどではありませんでしたが)同じ方法で全世界100位内に、しかも今度はスピーディーになってしまいました。

この経験のおかげで国王青年は、「ペーペー→トップレベルになる」という流れに物凄くリアリティを感じられる様になりました。

3番目に良かったのは、500文字/分という異常な速度のタイピングスピードが身に付いた事でした(気づいたらそうなってた)。

4番目に良かったのは、こうして(たまに援護射撃的に)お役立ち情報をあなたに届けられるエピソードを持つことができたことです!

実はネトゲ廃人になった経験(というかそこから得られたこと)は、今の僕の人生に凄く役に立っています。

音楽のお仕事をする時にも、教えるお仕事をする時にも、人生相談に乗るときにも、人を勇気づけるときにも、力強いメッセージをするにも、新しい分野に挑戦するときにも、です。

この経験はきっと、僕の野望を実現するためのプロセスとして、神様から遣わされた必要な経験だったのです!ものは考えよう!!!(笑)

そう、これから音大に行こうという時にまずネトゲ廃人になることは、作曲家になる為の最良の作戦だったのです!計画通り!

【国王物語】~大検編~ まさかのネトゲ廃人で学んだことを活かして大検突破!

国王が余りにネトゲ廃人なので流石に心配した父が・・・

そんな計画通りなネトゲ廃人ライフを過ごしていた国王青年。

しかし国王青年の父は中学を卒業する時に、「俺はお前の味方だ!協力する!」と言ってくれていた立場上、また父親としての立場上、気が気じゃなかった模様です。(お父さんマジでごめん)(このエピソードは中盤でご紹介したメルマガで詳細にお届けしています)

僕もそれは分かっていましたが、「今中途半端に遊んだら、後で未練が残ってパワーダウンする!」都合の良い事を考えて自らの心に折り合いをつけるために、父のことはとりあえず横に置いて遊ぶことにしました。(お父さんマジでごめん)

しかし、ここで父に頭が上がらない感謝の事態が!

実は父は個人事業で塾の経営をしていたので、過去に大検の勉強を指導した経験が有りました。

そして、なんと!

大検の勉強対策に必要な教科書一式を選び、重要な所をマーカーで引いてくれたり(倫理、政経、世界史なんか凄かった。まだ残ってるかな?有ったら取りに行って永久保存したいな。多分泣く。)、当時大検の予備校として指導していた「河合塾コスモ」に行き、過去問を譲ってもらえないかお願いしてくれたのです!

(「河合くん」であるしんちゃん国王青年が同じ名前である河合塾コスモにお世話になるとは、運命ですね)

そして、今でも覚えているのですが……

夏ごろ(流石に心配した父が)声を掛けてくれて、12畳位のスペースの中心に大きな大きなテーブルが置かれた居間で、定期的に試験対策の勉強をはじめました。

この経験がまた、今に凄く役に立つ気づきを与えてくれました。

自分の家なのに、決まった時間にそこへ行って勉強して、決まった時間に勉強を終える。(今考えたら時間割を作っていた気がする)

場所は自宅でしたが、やっている事は学校の勉強と完全に同じでした。その時国王青年は思いました。だましたな!

しんちゃん国王(青年)「なにも、学校じゃないと勉強できない、というわけじゃないんだ!」

しんちゃん国王(青年)「”学校=勉強する所”→”学校じゃないと勉強できない”はただの思いこみで、勉強したければ、何歳だろうが、どこだろうが、勉強すれば良いんだ!」

しんちゃん国王(青年)「え?てことは、俺はまずは作曲家になるけど、その後も、環境さえ確保すれば、増やしたい専門分野増やし放題じゃね??専門家なり放題じゃね???」

国王青年は、完全に先入観の束縛から解き放たれていました!

この経験も、国王の信念「何かを始めるのに遅すぎるということは無い。必要な事を必要なだけ真剣にやれば必ず結果を出せる。」に繋がっているかもしれません。

ていうか今気づいたけど、現在の国王の仕事のスタイルが、自宅兼事務所を借りて、決まった時間に事務所スペースに行って仕事をし、決まった時間に自宅スペースに行ってプライベートの時間を過ごすスタイルになっているのは、この頃の気づきが影響しているかもしれない!

考えてみたらセミナーとかワークショップも自宅(の事務所スペースの方)でやってるし……どんだけーww(これ、もう死語?)

お見苦しい脳内をお見せしてしまってすみません。国王はそんじょそこらで気づいては興奮する変態なのです。

そう、そのとき国王青年は、「先入観に縛られて、本当はできるのに出来ないと思って、やっていない事って、どのくらいあるんだろう?」という、何やら深い気づきを得たのです!

父も「目的を遂げることが大事で、方法は何だっていい。方法に囚われ過ぎてはいけない」という考え方を持っていたので、その影響を大いに受けていた気がします。だましたな!本当に感謝!!!

そうして大検を攻略!

そうしてワクワクしたノリで大検の勉強をしていた国王青年。

大検(今は高認)の試験は確か8月と11月ごろ、年に計2回ありました。

資格を取得するのに必要な単位数が決まっていて、各科目の試験の合格点を超えて、トータルで必要単位数さえ満たせば資格認定!というシステムでした。

というわけで、僕はまず、父にださまれのサポートを受け、8月に半分くらいの単位を取りました。(余りに勉強したくなさすぎて、地頭だけで何とかなりそうな科目だけまず取りました。公式や年号などを記憶しなければいけない数学や世界史は流石に無理だった)

そして、次の機会には、ネトゲで学んだ「正しいやり方を徹底的にやり尽くせば必ず結果を出せる」という考えに基づいて(これまた1ヶ月くらいの突貫工事でしたが)、勉強しまくってなんとかギリギリ合格点を満たし、残りの単位をコンプリート!

というわけで、ネトゲ廃人のおかげで大検を取得することができました。

17歳の頃でした。

これまた「何かを始めるのに遅すぎることはない……正しいやり方を徹底的にやり尽くせば必ず結果を出せる!この法則は正しい!」と確信を持てる成功体験になりました。

【国王物語】~音大受験生編~ ネトゲ廃人で学んだことを活かして音大受験突破!

音大の世界なんて1ミリも縁が無かったので、とりあえず勝手に縁を作って特攻しました!ww

一日15時間ネトゲを遊び、大検も取り終えた17歳の国王青年。

ようやく遊びへの未練を断ち切ることができました!

しんちゃん国王(青年)「そろそろ本気出すか。」

都合の良いカッコいい事を言いながら、作曲家になるべく猛勉強することを心に決意しました。

その後はどうなったのでしょう?

しんちゃん国王(青年)「作曲家にならないと地獄の人生が待ってるんだから、確実な方法で行きたい!」

ということで、まず、映画音楽やゲーム音楽の世界で、日本で一番活躍している作曲家を沢山輩出している学校をリサーチすることにしました。

Wikipediaで日本国内の音大を全部調べて、著名な卒業生のお仕事実績や、卒業生の数の統計を取るというマニアックな事をし始めました。(これも多分ネトゲ経験が活きていた……。)

しんちゃん国王(青年)「なになに・・・げげ、トラウマの藝大が出てきた!……ちなみに藝大作曲科の入試はどんな感じなんだろう?」

しんちゃん国王(青年)「ちょww5浪6浪当たり前ってwwwこれはないな。

ということで、藝大以外の一番を探した所、のちの僕の母校となる「東京音楽大学の、作曲指揮専攻・映画放送音楽コース(略して映放)」という所が一番活躍されている方を輩出している学校!ということが分かりました。

映放は、オールウェイズ三丁目の夕日海猿プリキュアエウレカセブンなど超有名な映画、ドラマ、アニメを手掛けた佐藤直紀さんや、福山雅治主演のドラマ「ガリレオ」「ジョジョの奇妙な冒険」などを手掛けた菅野祐悟さんなど、華々しいお仕事ぶりをされている方々が沢山卒業されていました。

学内にはレコーディングスタジオも併設され、シンセサイザーが15台近く置かれている教室が有ったり、学校説明のページには「商業音楽の世界で即戦力になる人材の育成を目指します」と書かれて有ったりと、とにかく(良い意味で)ヤバそうなオーラがバンバン出ていた。笑

しかもこの専攻だけ何故か当時センター試験が無いというまるで興味の無い勉強に時間を費やさなくて済む、音楽の勉強に専念した受験生生活を送れるという完璧っぷり

国王青年「ここしかない!」

と思い、音大の世界なんて今まで1ミリも縁が無かったのに、とりあえず資料請求して学校主催の講習会にも申し込んで特攻しました。

しんちゃん国王(青年)「これまでの人生に縁が無いなら、自分で作るまでよ!!!」

とんでもない事態にwww

しんちゃん国王(青年)「これまでの人生に縁が無いなら、自分で作るまでよ!!!」

ということで、国王青年、無理やり縁を作る作戦に出ました。代償は大きかった・・・

あれは17歳終わりの冬、もし高校に行っていたとしたら、高校2年生最後の冬のことでした。

実は音大は、入試の対策として夏と冬に講習会を開いています。

そして国王青年は、ネットでその情報にたどり着き、東京音大の冬期講習会に特攻しました。勢いだけはありました。

後から知ったのですが、冬期講習会って、音大受験勉強のレッスンを受けてきた人が「今どのくらいのレベルか?入試突破まであとどのくらいの進度なのか?」を力試しする為に行くのが通常の流れだった様です。

しかも当時音大受験の伝統は、「進学したい大学で教鞭を取ってらしている先生に師事する」というものでした。(これも後から知った)

その中に、どこの馬の骨とも分からない国王が突撃して行きました。勢いだけはありました。

まあ「音大の先生にレッスン受けていない人が行ってはいけない」というルールは無いので、関係無いですけどね!(当時真相を知ってたら、多分そう思ってたに違いない)

というわけで、講習会に突撃した国王青年ですが、とんでもないことになりました。

ソルフェージュの組分けテストで初めて聴音(というか耳で音を聴いて書き取る)という概念に出会い、当然1音も書き取れない事態になって最低レベルのクラスに組分けされ新曲視唱(初見で見た楽譜を歌う試験)ではみんなが当たり前のように歌っている事にド肝を抜かされ、終いに伴奏付け(映放専攻課題の一つ)では、一生懸命音を書いてレッスンに行ったら同期生はコードネームだけ書いて演奏して披露しているのを目の当たりにして「( ;゚д゚)どういうことだ!」という事態にww

極めつけには、音大の先生に「この和声のバス課題を明日のレッスンの時間までに埋めて持ってきてください」と、ピアノの五線譜の左手の所だけ音が書かれた楽譜渡され「( ;゚д゚)どういうことだ!」と、何をどうしたら良いのか全く分からない状況に恐れおののくというイベントが心の中で開催されていました。

そして国王青年は思いました。

しんちゃん国王(青年)「これはヤバイ所に来ちゃったぞ・・・。」(今さらか)

「ああいうのは才能がある人がなるものだ」→「お前やったん?」

でも、国王青年にはある一つの信念が有りました。

しんちゃん国王(青年)「今出来ないことでも、出来るようになる為の正しいやり方を徹底的にやり尽くせば必ずできる様になる!ならなければこの世はおかしい!!

ネトゲ廃人時代の学びによってこういう信念が育まれたのもありますが、この信念にこだわっていたのにはもう一つ理由がありました。

実は国王青年、作曲家になると決めた時点で周りから「やめとけ」「ああいうのは才能がある人がなるものだ」「一握りの人しかなれないんだから無理だよ」という事を言われたり、そういう空気を感じていました。(これ、今プロになっている人は多分殆どの人が経験したことかも。)

でも、僕はそれは違うと思っていました。

理由は色々ありますが、一番大きかったのは、中学時代「将来の仕事は何にしよう?」と考えていた話の所で出てきた岩代太郎さんの存在でした。

「音楽教育を受けていない状態から作曲家になった人が居る以上、その人が作曲家になるまでにしたこと・必要だった事を全て徹底的にやれば、絶対作曲家になれる」という考えです。

あと、「ああいうのは才能がある人がなるものだ」と言う人が「お前やったん???」「それ、ちゃんと統計取って追跡調査したん???」という人しか居なかったのも大きかったかもしれません。

やってもみないのに、「どうせ無理だよ」「やめときなよ」と説く無責任な人が多すぎる!

それを主張しても周りの人は「どうせ無理だよ」と謎の信念を植え付けてくるので、僕は思いました。

しんちゃん国王(青年)「クッソー!マジで悔しい!!!」

しんちゃん国王(青年)「何が悔しいって、明らかにおかしい事言ってる(しかも人生に根本的に影響を与える様な大事な事)のに、今の俺じゃ”それおかしいから!”って証明できん!!!」

この考えはシマイには「やることやれば絶対できっから!!俺が証明してやる!!!」という信念に成長していました。

そして、「いつからでも、どんな状況からでも、自分が心に決めて目指して正しいやり方で本気でやり続ければ、必ず実現する事を証明したい・・!」とも思う様になり、後に作曲家になり証明しました。

ちなみに僕はこの理論を「YYD理論」と呼んでいます。(YaることYaればDeきる理論w)

やってもみないのに、やり切ってもいないのに、思考停止して、のっけから「どうせ無理だよ」「やめときなよ」と言う無責任な人が多すぎる!!!

もしあなたが当時の僕と同じ立場だったとしたら(そして絶対やり遂げると決意しているなら)、その意見は全て無視(心のミュート機能をON)してください。なぜなら、その考え自体が成功の確率を著しく下げるからです。

そんなあなたが勇気がもらえるメルマガも書いています!もしあなたが1ミリでも当てはまるなら、ここで元気補充してください!!

(その他YYD理論やその背景にあるエピソードを詳しくお知りになりたい方も、音大入試をたった1年の準備で乗り越えた話のメルマガを登録してみてください。あなたの人生の転機になれたら僕は嬉しいです!)

ネトゲ廃人になってなかったら音大に現役で進学できていなかった理由とは???

CMコーナー】人の意見に負かされず、自分の納得する人生を生きていきたい人はコチラ

さて、話は戻り……東京音大の冬期講習に特攻し、

「( ;゚д゚)どういうことだ!」

「( ;゚д゚)どういうことだ!」

「( ;゚д゚)どういうことだ!」

と様々な洗礼を受けた国王青年……。

しかし!

結果としては、特攻したことで色々なご縁が出来ました!

4日間の中でまたブッ飛んだ行動を起こし、なんと、東京音大で教鞭を取られている先生に入試対策のレッスンをして頂ける事になりました・・!!

しかも、3人の先生をハシゴするという盤石の体制に・・!!

(細かいエピソードは無料メルマガ音大入試をたった1年の準備で乗り越えた話で読めますので、気になる方はそちらもご登録の上、先へお進みください。)

先生3人とか流石に多すぎだろwwwと、思うじゃろ?

僕のスタートラインが余りに焼け野原更地だったので、当時の映放の試験科目だった「楽典」、「聴音・新曲視唱」、「ピアノ実技」、「和声」、「伴奏付け」(+面接でピアノ披露&小論文問答)全てのレッスンを受ける必要があったんですww

流石に今まで何もやってこなかった代償は払う必要はありました。

でも、勘違いしないでください。

「今まで何もやってこなかった」からといって「無理」とは一言も言っていません!

「今まで何もやってこなかった」は「無理」につながる条件ではありません!(というか、よく考えたら全然つながりません!)

「今まで何もやってこなかった」なら、今からやれば良いんです!これが国王マインド!

講習会時先生に詰め寄り「僕、作曲家になろうと思っています。その為に来年この大学の映放に進学します。でもこのまま1年間過ごしたら無理だと思うのでどうしたら良いか教えてください!!と頼み込んだ国王青年の目が血走っていたノリが余りにも真剣だったので、その結果、

「楽典」「聴音・新曲視唱」「ピアノ実技」の先生と、「和声」の先生と、「伴奏付け」の先生と、計3名の先生を紹介して頂き、レッスンをハシゴする事になりました(紹介してくださった先生とレッスンをしてくださった先生方には、今でも本当にほんとうに感謝しています)。

そして実は……ここでもネトゲ廃人時代の経験が役に立ちました!(またか)

と言いますのも、ペーペーの状態から世界ランカーになった経験から、「今出来ないことでも、出来るようになる為の正しいやり方を徹底的にやり尽くせば必ずできる様になる!」という強い成功体験に基づく信念を持って突き進む事ができたのです。

ネトゲ廃人時代は毎日15時間近くゲームをしていましたが、受験生時代も毎日15時間近く音楽の勉強をしていました。

よく「そんなに勉強するなんて、凄いですね」と言ってくださる事が有りましたが、ドMだったので自分が全責任を負って決めた「仕事は作曲家にする」という目標を達成する為に必要なことだったし、ネトゲが音楽に変わっただけのことだったし、特に大変ではなく普通の感覚でした。

多分感覚が麻痺していたと思います。ネトゲ廃人のおかげです。

でも、これにより「YYD(YaることYaればDeきる)理論は正しい」ということを証明できました。

実は一日15時間の勉強を365日続けると、5,475時間になります。

音楽を専門的には全く学んだ事がありませんでしたが、「できるようになる為の正しいやり方」に5,475時間ぶっ込んだ結果、流石に成績ギリギリでしたが、なんとか現役で東京音大の映放に合格することができました。

そして僕は、やってもみないのに、やり切ってもいないのに、のっけから「どうせ無理だよ」「やめときなよ」と言う無責任な人々に対して「それは違う!」と証明することができました。ザマアミロ!「YYD理論」は正しい!

そうして国王青年は、YYD理論を使って東京音大の映放へと入っていくのでした……。

その後まさかあんなことになるなんて、

このときの国王はまだ知らないのでした……。

しんちゃん国王は、音大受験生時代、こんなふうに過ごして今に至ります。

ちなみに音大受験のエピソードはこれにて終了ですが、この経験からは本当に学ぶ事が多かったです。

音楽の事の他にも人生全般で得られるものが多いと思いますので、学び好きの方、学び中毒の方音大入試をたった1年の準備で乗り越えた話、是非登録してみてください。超オススメです!

ちなみにこのメルマガは、しんちゃん国王が「音楽は大好きだし、一生やっていきたいし、どうせやるなら音大生みたいな境地のレベルに達してプロ顔負けの音楽力を身に着けたい」と思っている方へ向けて配信しているメルマガです。

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【国王物語】~音大生編~ 音大に進学した後は・・・

作曲家になる為に一番重要なことを一言で言うと・・・

そうして国王青年は、3人の先生のレッスンをハシゴしながら毎日15時間受験勉強し続け、ギリギリでしたがなんとか音大に現役合格することができました。圧倒的なやり込みは正義!

ネトゲを15時間遊ぶ感覚で、音楽を15時間勉強していた狂気の大変勉強熱心な国王青年。

現役合格できたのには、その努力が功を奏したのもありますが、もう一つ重要な要因がありました。

それは、「正しい努力をした」ことでした。

そして、それは「良い先生に出会い、良い環境に身を置くことができた」からできたことでした。

「努力は尊いが、正しく努力する事はもっと大切なことである」これはあまりにも何度挑戦しても正しいと国王に証明してくれるので、国王はもうこの世の原則だと思っています。

(音楽に関する正しい努力とこくおーの考え方が毎日届くメルマガはコチラ)

音大の冬期講習で「( ;゚д゚)どういうことだ!」を連発していた国王青年。

右も左も分からない状態だったので、先生の言うことを「はい or YES or やる」とひたすら素直に、しかも徹底的にやりまくっていました。

そしたら、実質1年しか勉強していないのに、どういうわけか、現役で音大入試をパスしてしまったのです。

そう考えると、何かをマスターしようと思った時、良い先生に出逢うこと(本質は「その分野の正しい努力とは具体的に何なのか?」という情報と出逢うこと)は、最も重要です。

だから国王青年は、本当に良い先生に出逢うことが出来、幸運でした。(多少強引でしたがw)

先生には本当に本当に本当に感謝しています。なぜならば、先生の存在が無ければ、今の僕の存在はあり得なく、こうしてBlogであなたに文章を書いていることも無かったのですから。

直接お会いする機会は殆ど無くなってしまいましたが、今でも本当に感謝しています。先生には頭が上がりません。ああ先生にこの気持ちをもっと伝えたい!検索上位になる為に、あなたもアクセス数を増やすのに協力してください!ww

冗談はさておき、これは音大に進学した後も同じでした(・∀・)

音楽を効果的に学ぶ環境を手に入れた僕は、様々な先生に出逢い「正しい努力」に照準をあわせ、引き続き毎日15時間勉強し続けます。

「プロ作曲家になる為に一番重要なこと」

それは「曲を書きまくること」です。

しかしそれは一言で言ったら、の話で、実は色々な条件が有ります。

それはどんな条件でしょうか?

この後のトピックでもご紹介しますが、そこでご紹介し切れないこと、僕が音大で経験した授業、学んだ考え方、学んだことは、メルマガで配信していますので、興味の有る方はぜひ読んでみてください(・∀・)

音大の授業そのものを受けることはできなくても、雰囲気や内容を疑似体験してみたい!というアナタにはとても役に立つはずです。というか、役に立てたら嬉しいです!

興味が有る方は30秒ほどお時間取って、下記リンクに飛んでメールアドレスを入力後「確定」ボタンを押してください。下記テーマで国王からのお便りが毎日届きます(・∀・)

疑似体験!音大作曲専攻授業の様子

一流の作曲家が口を揃えて「役に立った!」と言う課題!

さて、映放で一番印象的だった授業は、映画「ドラえもん」の音楽やN○K子供向け番組の音楽を沢山作られていた大作曲家・堀井勝美先生の授業でした。

なんと、毎週、完コピ(全てのパートの音を完全に聴き取ること)し、その譜面を書き、その打ち込みをし、それを踏まえてオリジナル曲を作り、その譜面を書き、その打ち込みをして提出という内容でした。

しかも、一度でも課題が未提出になると留年(再履修)というルールでした。

あと、一度でも欠席したら留年(再履修)というルールでした。

しかも、学年末の提出課題の点数が悪いと留年(再履修)でした。(これはまあ当たり前か)

ちなみに夏休みは、毎週、学校宛に郵送で課題提出というルールで、一度でも落としたら留年(再履修)というルールでした。

はっきり言って地獄でした。

というのも、読んで頂いた方はわかると思いますが、国王青年、この授業を受ける一年前には「( ;゚д゚)どういうことだ!」よろしく音を聴いて書き取るなんてことを一度もしたことが無かったのです。

そして、ギリギリの成績で「滑り込みセーフ!」みたいな感じの入学の仕方をしていたので、この課題の学習水準についていくのが超大変でした。

その頃の国王青年の生活ぶりは、朝起きて明け方寝てました。

え?どういうことか分からないって?

朝起きて明け方寝てました。

( ゚д゚)……?

朝6時頃起きて、朝4時頃寝てました。(笑)

・・・・・。

夏休みに差し掛かった頃のこと、「なんとかここまで生き延びられたぞ……ここで一旦体力回復して後半戦頑張ろう……」(国王青年は逃げ出した!)

堀井先生「夏休みは毎週、課題を郵送して送ってな。(しかし回り込まれた!)

余りに大変過ぎて病みました。(笑)

39度の熱出した日も、課題持って学校行ってました。(流石に堀井先生、「バカヤロー!家でネテロ!!帰れ!!!」と言ってくださいましたが。個人的にはノリがマジで苦手ですが本当に愛が深いと思うしその時は愛を感じました。)

余りに大変過ぎて、後半は心療内科で処方してもらった薬を飲みつつカウンセリングに通いながら課題やってましたwww

でも、今だからこそわかるんですが、この課題、プロ作曲家になる為には本当に効果的な課題なんですよね。

というのも、(当時の)活躍していたプロ作曲家って、毎日こういう生活を送っていらっしゃっていて、否が応でもこの生活の中で圧倒的な技術を身に着けていたのです。作曲家業界のレジェンド達は毎年1,000曲書く生活を何年も続けています。(YYD理論的に言えば毎年1,000曲書く生活を何年も続ければ作曲家業界のレジェンドの技術レベルになれるということですが)

(後に教えを受ける事になる服部克久先生、三枝成彰先生、千住明先生、小六禮次郎先生、どの師も例外無く、そうだったというエピソードをお伺いしました)。

要は先生は「毎日曲書け(毎日書く習慣をつけろ)」と言いたかったのだと思います。

映放を卒業した先輩方で作家になっている方々は、みんな口を揃えて「この課題が良かった」と言います。

仲良くさせて頂いていた、2つ上の先輩で、卒業後すぐにNHKのドラマを担当されていた方は、一緒に飲みに行った後TSUTAYAに寄って、この課題用のCDを借りてました。w

映放ではこの課題は本当に名物で、我々卒業生の中ではこの課題を自主的にやる事を密かに「あの祭り」と呼んでいます。(国王の周りだけだろうか。)

国王も、制作のお仕事が少ない時期は、この課題を自主的にやる時があります(・∀・)

もしあなたが作曲をしていて、更に上達したい!と思っている様でしたら、この課題に取り組んでみることをオススメします。

ただし、先に(または同時に)音感を磨いておかないと国王青年の二の舞になること請け合いなので、何かしらの方法で音感が磨かれる環境に身をおいたほうが良いでしょう(・∀・)

そんなこんなで、1年生の時点でいきなりラスボス戦の様な展開になってしまった国王青年。

この後も1トピックだけ今の国王の価値観に繋がっているエピソードをご紹介したいと思います(・∀・)

音大生時代に学ばさせて頂いた事は本当に沢山有ったのですが、流石に全部は書ききれないので、「気になる!」というアナタは、下記メルマガを読んでみてください(・∀・)

疑似体験!音大作曲専攻授業の様子

「音楽家で在る前に人格者で在りたい」と思ったキッカケ!

堀井先生の課題では色々有りました。

本当に色々あったんですが、なんとかクリアして進級したら、その後の課題は凄く楽でした(あの祭りに比べたら)。

そして、3年生になった頃、国王青年の価値観に大きな変化が起こります。

その変化を起こしてくださったのが、こくおーのオーケストラアレンジの師匠、小六禮次郎先生でした。

小六先生はドラクエで有名な「すぎやまこういち」さんのお弟子さんに当たる方で、大河ドラマ「秀吉」や「功名が辻」などを担当されている大作曲家でした。

しかも、大作曲家であるだけではなく、とんでもない人格者でした。(僕にはそう見えた)

小六先生の授業の内容は全て「どうしたら学生が本当に作曲家になれるんだろうか??」という事を悩み考え抜いて作られている事が、ひしひしと伝わってきました。

教授業以外だけでもトンデモなく忙しい毎日を過ごされている筈なのですが、小六先生は教える事にも一切の妥協が無いのが伝わって来ました。

小六先生の在り方は、一言で言うと、でした。

授業には1秒の狂いもなく来られ、小六先生の持つ音楽哲学からオーケストレーションにおいて最も重要な事(重要度の高い事から順に、明確に優先順位を付けて、的確に講義してくださいました)まで、トンデモなく熱心に教えてくださり1秒の狂いもなく授業を終わらせ帰っていくその姿は格好良すぎました。

そして、小六先生は間違っていることを「間違っている」とハッキリ仰られる方でした。(本当は絶対的な正しさ・間違いなんてこの世に無いと思うのですが、先生が思う正しさ・強い信念ということですね)

一度、学校での先生の授業の様子を取材する回の授業が有ったのですが、その時にカメラマンの方が遅れてこられた事がありました。

その時カメラマンの方は「すみません、遅れました!早速始めさせて頂きたいと思います!」と、撮影をし始めました。

その時!

小六先生「ちょっと待ってください。何で遅れたんですか?まずその話からするべきでしょう。」

小六先生「それにこれはコチラの都合ではありますが、学生には遅刻は絶対に認めないと言っている以上、これでは示しが付かないんです。」

小六先生「これはなぁなぁにしてはいけません。キチンとした形で謝ってください。」

(きっと先生は教育上、学生に”絶対に時間に遅れてはいけない”という事を見せようともされていたのだと思います)

その様子を見て、国王はマジでシビレました。

作曲家としてズバ抜けた技術を持っているだけでは留まらず、とんでもなく人格者で、自分の信念を貫く生き方をしている小六先生を見て僕は小六先生の様な作曲家になりたい!と強く思うようになりました。

そして、今でも大切にしている価値観「音楽家で在る前に人格者で在りたい」という価値観に繋がりました。

僕、大切にしている価値観の第2位に「純正(純粋で正しく在ること)」というものがあるのですが(第1位は愛)、これは間違いなく小六先生の影響です。

小六先生は本当に素晴らしい作曲家の先生でした。小六先生との出逢いは、国王の人生にとって、本当に大きな影響を与えてくださったのです。(顔はめっちゃ怖いけど)

【国王物語】~作曲家編~ そうして大学を卒業し、作曲家に・・・

作曲・編曲・楽譜制作など色んな音楽のお仕事を経験!

そうして国王青年はレジェンド作曲家の先生方から様々なことを学ばさせて頂きました。

映放に入った後も、毎日15時間やり込んでいたので、卒業まででなんと27,375時間「正しい努力」をやり込んでいたことになります。

そんなこんなで、国王青年はメキメキと力を付けて映放を卒業していきました。

5年前は音楽は完全素人で聴音の試験には「( ;゚д゚)どういうことだ!」とか言っていたのに。何かを始めるのに遅すぎるということは本当に無いですね。YYD理論恐るべし!

本当はご紹介した先生以外にも感謝してもし切れない先生方がいらっしゃるのですが(特に受験の頃から見て頂いていた当時助手だった先生)、既にとんでもなく長くなってるので、そのお話はまたの機会にお届けします。(これはメルマガでも余り書けていないエピソードなので、メルマガ紹介はしないでおきます。Blog記事が増えてきたらどこかでリンクを貼ることになるかも知れません)

卒業後は、(これまた色々有ったけど結果的に)色々なお仕事を経験させて頂く機会に恵まれました。

卒業制作でチェロを弾いてくださったチェリストの方が曲を気に入ってくださって、ご自身が主宰されるストリングスチームのコンサートでの委嘱作品を依頼して頂いたり、

東京音大に依頼が来ていた、台湾の東呉大学という音大が主催していた、台湾の懐メロ的な名曲の弦楽合奏コンサートのアレンジャーとして抜擢して下さり海外のお仕事も経験させて頂いたり、

アメリカでロックの殿堂になったThe Platters来日公演のストリングスアレンジをさせて頂いたり(Only Youとか、ご存知でしょうか?)

舞台や映画のBGMの音楽制作をさせて頂いたり、

誰もがプレイしたor一度は耳にしたであろう有名なゲーム音楽のレコーディングで演奏する為のスコア制作(写譜と言います)をさせて頂いたり、

本当に沢山のお仕事を経験させて頂いて、感謝感謝でした。

冒頭にも書いた通り国王は今、全世界で国王の音楽が演奏され、国王の知らない所でもプロアマ問わず演奏され続け、スコアとパート譜を全世界にバラマキまくるという野望へ向かって前進している最中なのですが、当時は「先生も先輩も、大河ドラマの音楽を担当している伝統がある以上、こくおーも大河の音楽を担当して音楽業界でブイブイ言わせるお世話になった先生方に恩返しするくらいしないと、この道を目指した甲斐がない!」と思っていました。

そして、それらは順調に進んでいる様に見えました。

しかし、作曲家生活を始めたある時、国王青年は一つのことに気づきました。

お抱え作家として1000万稼ぐより、自分のコントロール内で180万稼ぐ方がリスクが少ない

先程お話しした通り、国王青年は最初、大河ドラマの音楽を担当するくらいの華々しい実績を目指していました。

そこで作曲家として社会に出た時、最初は「音楽制作事務所」というものに所属して、バンバン活躍していこう!と思っていました。

大河ドラマを始めとする知名度の高い実績を持つ大作曲家の方々は、どの方も、広告代理店や放送業界と繋がっている音楽制作事務所に所属し、作曲のお仕事をされていたからです。

僕が卒業した当時、作曲家として活躍する王道パターンは、音楽制作事務所に所属し、事務所が抱える仕事を、事務所を通して担当し、作曲をしまくっていくパターンでした。

しかし、実際はフリーランスとして音楽制作のお仕事をしてきました。

何故でしょうか?

理由は2つありました。

1つは、ある時「超有力事務所に所属する作家としてバリバリ稼いでも、事務所の意向や経営次第でいつでも失業し得る」ということに気づいたことでした。

(音楽を作る専門技術に卓越している事と、仕事を生み出し金銭的な取引を成立させる事は本質的には別)

ビジネス書がお好きな方はご存知の方も多いかもしれませんが、ロバート・キヨサキさんが書かれた「金持ち父さん貧乏父さん」という本を読み、ファイナンシャル・インテリジェンスについて学んだことで、この事に気づきました。

しんちゃん国王(青年)「音楽技術に卓越して」

しんちゃん国王(青年)「毎日ひたすら曲を作りまくって(というか、忙しすぎてそれしかやってられない)、1000万円以上稼ぐ作家になったとしても」

しんちゃん国王(青年)「そのお仕事を持ってきてくれる事務所が傾いたり、嫌われてしまったりしたら、為す術無く一瞬で収入が無くなってしまうんじゃね?」

(事実僕が卒業した時点で。既に「事務所に所属してもお仕事を持ってきてくれると思っていたら食えない」という時代に差し掛かっていました)

しかし国王青年は、中学2年生の頃「将来の職業は作曲家になる」と決めていました。

それすなわち、作曲の仕事で一生食べていくということでした。

しかし今後60年間以上、作曲の仕事をしていく上で、音楽事務所が一度も傾いたり、事務所とモメたりしないで万事安泰に過ごせる確率って何%くらいなのでしょうか?

いや、何%というか、それって自分の裁量でコントロールできる事なのでしょうか。

しんちゃん国王(青年)「( ゚д゚)……」

しんちゃん国王(青年)「( ゚д゚)……」

しんちゃん国王(青年)「(  ゚  д  ゚ )」

しんちゃん国王(青年)「(  ゚  д  ゚ )<ねえ、これ、ヤバくね?

お金の事について、自分の裁量でコントロールできないのはヤバすぎると感じました。

そして、「一生音楽で食べていくなら、音楽を作る技術だけではなく、その音楽を売る技術も身に着けて、自分の収入を自分の意思で意図的に作り出せる様になった方が良い」と考える様になりました。

そして、「仮に事務所におんぶに抱っこで有名になり年間1000万稼ぐ作家になるより、自分の裁量でいつでも年間180万円稼げる作家になる方が、経済的には有利」という結論に。(180万円は、大人一人が一人暮らしでなんとか生活が可能な水準)

これは音楽に限った話ではなく、全てのクリエイター、専門職の方にも言えることだと思います。更には個が存在感を増すこれからの時代は、会社勤めの方にも言える事になっていくことでしょう。

様々な葛藤はあれど・・・

お金の事について、自分の裁量でコントロールできないのはヤバすぎると感じ、フリーランスとして音楽制作のお仕事をする道を選んだ国王青年。

しかし当時作曲家としての王道、サクセスストーリーの舞台は「音楽事務所」でした。

なので、その王道パターンである「音楽事務所」(しかも力の有る)へ所属し、大活躍して引っ張りだこの売れっ子作曲家になる事は、国王青年にとっても一つの憧れでした。

そしてその憧れを手放して新しい道に進む事には、とても葛藤が有りました。

本当に悩みました。

でも、どう考えても、一生音楽を仕事にしていく上で(生業としていく上で)、音楽技術以外に仕事を生み出し金銭的な取引を成立させる技術(つまり営業・マーケティング)は必要でした。

どの角度から考えても必要でした。

しんちゃん国王(青年)「ウゴゴゴゴゴ……」

しんちゃん国王(青年)「落ち着いて考えるんだ……。」

しんちゃん国王(青年)「俺にとって、俺の人生にとって本当に大切な事は何なんだ……。」

しんちゃん国王(青年)「自分の責任で選んだ職業音楽家の道を、全責任を持って選んだこの道を、誰のせいにもせずに生業として全うする事じゃないのか……。」

しんちゃん国王(青年)「もしそうじゃないとしたら、途中で食いっぱぐれることになっても納得しなきゃいけないことになるぞ」

しんちゃん国王(青年)「圧倒的な技術力を持って、華々しい実績を誇っても、外的要因に経済的な未来を握られている生活」

しんちゃん国王(青年)「それは嫌だ」

さすがに後ろ髪を引かれる想いでしたが、国王青年はフリーランスで活躍する道を選ぶことにしました。

そしてこれがこの道を選んだであろうもう1つの理由だと思うのですが、よく考えたら、中学生の時点でもともと「敷いてあるレールを全力でぶっ壊して、自分でレールを敷いてその上をε=ε=( ・∀・)ポッポーと走りまくる性格」でした。

先入観に囚われず、「目的を遂げる為に効果的なら、何でもやる」性格だったのです。

さらに、小六先生との出逢いで「音楽家で在る前に人格者で在りたい」という思う様になっていました。

「音楽力も大切だが、人間力も大切」という考えを持っていたのです。

ということで、もう割り切ることにしました。

というわけで、音楽以外にも色々学びまくり、遂には何屋か分からなくなる事態にww

「音楽を作ること、価値を生み出す事だけではなく、それを売ること、価値を届ける事にも精通している必要がある」という結論にたどり着いた国王青年は、従来の王道コースに後ろ髪を引かれる想いでしたが割り切ることにしました。

そして、「音楽力も大切だが、人間力も大切!」ということで、

しんちゃん国王(青年)( ゚д゚)<満足行く人生を送るのに必要な事は何でもかんでも勉強してやる!」

という発想に変えました。

ここからが、まさに第二の人生だったかもしれません。

とりあえずAmazonでビジネス書を50冊くらい買いました。

買ったのは、お金の本、営業の本、マーケティングの本。

更には、タイムマネジメントの本、モチベーションに関する心理学の本、コーチングの本。

プレゼンテーションの本、セルフマネジメントの本。

あとは、7つの習慣や成功哲学に代表される、有名な自己啓発書などなど。

およそ作曲家として自分の力で一生食っていくのに人生に必要そうな本は、片っ端から手に入れていました。

そしてそれらを読んだ後、また50冊くらい買って読みまくりましたww(しつこいw)

その後、どうやら意図的に、科学的に成功する為には、目標達成の技術を持っていた方が有利ということが分かりました。(よくある価値観ヴィジョンを明確に持ち、効果的かつ的確な目標設定をして計画立案し、それを実行しながら改善していくという方法です)

自分でもできるけど、それをコーチングしてくれる人が居るセミナーを発見し、それに通った方がどう考えても早いと思ったので、そのセミナーも受講。

営業に関しても、全く経験ナシ土地勘ナシで、直接学んだ方が圧倒的に早いと思ったので、それに関連するセミナーも受講。

(こんな作曲家絶対居ないだろマジで)と思っていましたが……

とにかくその時はあらゆる事を学びまくりました。

多分200万くらい自己投資したと思います。

そうして、気づいたら、何屋か分からないほど色んな分野の専門知識や技術・能力が付いていました。w

(ちなみに、「人生を豊かにする」為に体得しておいた方が良い知識と技術の分野が予め有るので、ここでご紹介しておきます。ご興味有る方はお読みください。ご興味無い方はお読み飛ばしください。)

1.成功の人生を歩むのに重要な5つの知識

1.) 健康に関する専門知識

2.) 心理学(人間学)に関する専門知識

3.) 専門とする職業の専門知識

4.) お金に関する専門知識

5.) 趣味・教養全般に関する知識

2.成功の人生を歩むのに重要な技術

1.) セルフコントロールスキル(自己管理)

2.) プライオリティマネジメントスキル(優先順位)

3.) コミュニケーションスキル(意思の疎通)

4.) ヒューマンリレーションスキル(人間関係)

5.) タイムマネジメントスキル(時間管理)

6.) ネゴシエーションスキル(交渉力)

7.) ディシジョンメイキングスキル(意思決定)

8.) マネジメントスキル(管理能力)

(出典:青木仁志著「目標達成の技術」)

(フリーランスで生きていくなら、セールスコミュニケーションスキル、マーケティングスキルも必要ですね。)

というわけで国王は、作曲のお仕事を請け負いつつ、これらの知識と技術を徹底的に磨く事に時間とお金を使いまくり、それらを体得していきました。

本当にそれで良いのか?国王よ・・・。

自分が納得する人生の目的とは??

あなたの人生の目的は、何ですか?(・∀・)

あなたは何のために、誰のために、何故、幸せになるべきなのでしょうか。

あなたはどんな人生を送ったら、納得できるでしょうか(・∀・)

国王は作曲家になったにも関わらず、作曲のお仕事を請け負いつつ一旦それは置いといて、成功に関する知識と技術を徹底的に磨く事に時間とお金を使いまくり、それらを体得していきました。

結論から言うと、本当に良かったです。

何故かというと、「音楽家である前に人格者でありたい(どちらも卓越していたい)」という国王の価値観・ヴィジョンをより実現しやすくなったからです。(オマケに自分で収入を作れる様になった→オマケかい!)

具体的に言うと、国王のところに相談に来てくれる人の人生相談に、かなり効果的に力になる事ができる様になりました。

この後始めることになる音楽レッスンでは、音楽の事のみならず、それ以外の事でもたくさん相談し、頼ってもらえ、そして効果的に関わることができる様になりました。

音楽以外の分野の専門家の方とも、怖気付く事なく、「自分は作曲家だから」とかいう変な先入観も無く、対等に関わる事ができる様になり、さらには有難い事に「河合さんの○○なところ、本当に尊敬します」と言ってくださる様にもなりました。

動機の源だった、音楽で収入を作り出していく事も当然できる様になりました。

そして、自分の価値観の軸(愛)が出来て、余りブレなくなりました。

このストーリーの序盤にも書きましたが、国王は、「一人でも多くの人を愛したい、幸せになって欲しい!」という強い想いを持っています。

それは、幼少期の体験から来ているのですが・・・

さらにその想いを強化してくれたのは、伝え漏れていたエピソード、22歳の時、将来を改めて想いながら当時住んでた実家近所の多摩川を散歩していた時の事でした。

国王(青年)「自分は、将来どんな人生を送ったら、一番納得する人生になるのだろうか。」

国王(青年)「果たして、作曲家として大成功して、有名になって、大金持ちになったら、満足するのだろうか。」

答えはNOでした。何故なら、

国王(青年)「じゃあ、有名になって大金持ちになったら、その後はどうなんだろう?」

と考えた時、燃え尽きてしまう様な気がしたからです!

それに、冒頭に書いた生い立ちから、僕には一つの夢がありました。

それは、「一度でも良いから、家族円満で家族団らんができる、幸せな家庭を体験してみたい」という夢でした。

結婚して、家族が出来て、その家族を最高に幸せにして、自分自身も幸せな家庭を経験したいと思っていたのです。

国王の夢は、決して有名になってお金持ちになるだけでは叶いませんでした。

そして、ふと思いました。

国王(青年)「もし、死ぬ瞬間、どんな人生を送れていたら、満足して旅立っていけるだろう?」

・・・・・。

国王(青年)「名誉もお金も、死んだら持っていけない。でも、自分が存在していた記憶は、残された人達の中に残り続ける。ならば・・・」

国王(青年)「自分の周りの人を始め、一人でも多くの人に”あなたに出逢えて良かった”って言ってもらいたい。自分と出逢った人がもう一歩幸せになって、そういう人が沢山出てきたら、”生まれてきた価値が有ったナァ”と心から思える

と思ったのです!

そして、成功に関する知識と技術を習得したことは、音楽だけ学んでいた時代とは比べ物にならないほど、自分の周りの人にとんでもなく力になってあげられるというご褒美を国王に与えてくれたのです。

国王の人生の目的は、大切な人を始めとして一人でも多くの人を愛し、その人が幸せになる事に寄与し続けることです。

そして、目指している人物像は、世界一優しくて、世界一ストイックな人!(・∀・)

そうして、作曲家以外のお仕事も色々とやることに!

音楽を教えるお仕事を始める。

最終回みたいな終わり方をしましたが、もう少しストーリーが続きます。

そもそも、しんちゃん国王、なぜ国王なのか?

というお話。

音楽の収入を自らの手で作る活動の一環でもあったのですが、実は、しんちゃん国王、ある時から音楽のレッスンを始めました。

ザックリ言うと、個人レッスン(色々)→グループレッスン(音感)→年間教育サービス(音感・ストリングスアレンジ)→王国(音感・音楽基礎力・作曲全般・音楽アドバイザー)といった感じです。

後半が謎過ぎますが、個人レッスン時代から、本当に色々な事を教えました。

コード理論はもちろん、和声対位法ストリングスアレンジオーケストラアレンジなどなど。

個人レッスン後半は母校東京音大の受験生に音大の入試対策として受験勉強も教えていました。(その子は結局洗足音大の大学院へと進んでくれましたが、かつて受験生時代に教わっていた先生から頂いた恩送りの機会をいただけて、本当に感謝&誇らしかったです。)

色々な生徒さんがいらっしゃったけど誰もが知っているであろうゲームを開発している某ゲーム会社に就職して活躍している子や地上波の某有名放送局で作家として活躍している子など、生徒さんもそれぞれ夢を叶えてくれその瞬間は本当に尋常じゃなく嬉しかったです。(一人で涙を溢しました)

教える経験を通して教育力やコーチングスキルなどが磨かれていきました。

生徒さんからは、音楽を教える傍ら、営業やタイムマネジメントなど、彼らがその時に直面している様々な課題の相談に乗ったり、果てには人生相談まで頼ってくれる様になり、もはや自分が何屋か分からないレベルで色んな事を教えていました。

音感コーチングの専門家に!

そして個人レッスンをしばらく行っていた頃、当時開講されていた音楽家の為の自営業セミナーの主宰の方と共同で、実用的な音感を磨くプログラムを開発することになりました(・∀・)

ここで初めて「存在していない商品・サービスを自分で作り提供する」という経験を・・!

※この音楽家は一体どこへ行くんだというツッコミは受け付けていません。

といっても、その方のお力添えが本当に大きく、実際にお客さんを集客したのも、会社のツテを活用させて頂いたので、本当に感謝です。

音感のプログラム開発は、1年弱研究開発をし、プロトタイプのメソッドを作り、それを使ってモニターで2名個人レッスンをし、さらにブラッシュアップという形で開発しました。

それは、今国王が王国でコーチングする際に使っているメソッドの基になったもので、

まず、ピアノ以上に美しい(いわゆる純正律レベルの)音を感じ、使いこなせる様になる「チューニング感覚」

(国王は最初チューニング感覚が超弱かったというか、そもそもそういう発想が無かったので、ここの開発は物凄く力を貸して頂きました)

そして、作曲・演奏をする上で、練習・実践の次元を根本的に変えてしまう、聴いた音をドレミで判断できる様になる「階名識別感覚」

この2つの音感を、どんな人でも、効果的に身に付けられる様にするプログラムでした(・∀・)

(今はさらに発展させて、ハーモニー(コード)を聴き取る「和声識別感覚」を磨くメソッドを研究開発中です)

音感は感覚的な事なので、これを「現段階で持っていない人」に教えること(できるようにしてあげること)は非常に難しかったです。

実際、音感を効果的に教えられる人は、日本国内に本当に少ない様に思います。

ちなみにこのメソッドは「絶対音感」を身に付けるものではなく、強力な「相対音感」を身に付けるものなのですが、相対音感教育となると、益々学ぶ事ができる場が少なく、もっと日本に学べる場が増えてほしいナァと国王は密かに思っています。

(絶対音感も便利なのですが、音楽をある程度のレベル以上高度にやろうとすると、絶対音感的な感覚より、相対音感的な感覚の方が有利なのです。そして、相対音感の方が後天的に身に着けやすい。)

音大でも、基本的には絶対音感ベースで、読み方も固定ドで訓練するので……国王は絶対音感と相対音感のハイブリッドな感じですが、相対音感優位に感覚を切り替えるのは中々大変でした。

そんなこんなで、教えるのは中々難易度が高かったですが、1年半で20人強の方に指導させていただき、おかげで、音楽力のみならず、コーチング力がかなり身に着きました(・∀・)

そして、この音感セミナー、最初に「研究→プロトタイプメソッドを使ってモニター生に故人レッスン」という流れで開発したとお伝えしましたが、その時に、ある事件が!!!

それは、当時音感が超弱くて、悩んでいたある生徒さんと国王と、提携していた会社の社長さんとのエピソードでした。

モニターレッスンが4ヶ月くらい進み、メキメキと音感を伸ばしてきていたその生徒さん。

生徒さん「いやー、ここまで本当にありがとうございました!」

しんちゃん先生「いえいえ!」

社長さん「いえいえ!」

生徒さん「ところで、この音感の奴、講座になったら、なんていう講座名になるんですか?」

僕は嫌な予感がしていました。

何故なら、その会社の開講する音楽教育プログラムは、軒並みダサい名前がつくことで有名だったからです(そして一度聴くと忘れない! 秀逸!)

社長さん「うーん」

しんちゃん先生「(ドキドキ……)」

社長さん「そうだな……」

しんちゃん先生「(ドキドキ……)」

社長さん「あ!」

しんちゃん先生「(ドキドキ……)」

社長さん「しんちゃんのワクワク音感王国にしよう!」

しんちゃん国王「」

なんか、気づいたら国王になっていました。

講座形式から年間契約コーチング形式に!

晴れて国王に就任し、1年半音感の講座を受け持たせていただくことに。

そして、その後は会社の意向で、講座形式から年間を通して契約をし、音楽メソッドを学び放題&講師に音楽相談し放題&添削してもらい放題というサービスに変わりました。

国王はその中で音感とストリングスアレンジを担当する事に。

それぞれの動画を作り、動画を視聴して学んでもらい、設定してある課題やトレーニングメニューに取り組んでもらったものを個別で添削してアドバイスする、という、遠方の方でも多忙の方でも学ぶ事のできる画期的なシステムでした。

その形式でたくさんの生徒さんを教えつつ、さらには音感を学ぶことができる1DAYワークショップも開講し、気づいたら音感を教えた人は170人弱にまで増えていました。

気づいた時にはもう、とんでもなく音感をコーチングするのが上手くなっていました。

音感を身に着けさせる、というよりも、自分で音感を磨ける状態にまでコーチングできる様になっていました。

講座の経験もありますが、子供の頃お兄ちゃんにボコられまくった時代に身に着けた、「人の感じていることや考えていることが、まるで自分のことの様に感じられる」特性や、コーチング、心理学などを学びまくったことが生きている様に感じます。

名誉なことに、生徒さんからも、「ご自身ができる方は多いけど、それを人に教えられる人は本当に少ないので本当に出逢えて良かったです」と言っていただけます。嬉しい!

そして色々と紆余曲折し、2018年の7月に、会社との業務提携を終了することになりました。

そして開国へ・・・。

国王「さて、これからどうしようかな。」

国王「作曲家としての成功もしていくとして、それだけじゃつまらないな。」

国王「一つの事を徹底的に、ストイックにやっていくのも好きだけど、人と関わる事も好きなんだよなぁ。」

国王「開国するか。」

国王「形式は今までと同じ様に、年間契約制にしようかな。そっちの方が細々としたフォローをしやすかったし。」

国王「ていうか、どうせなら、音感だけじゃなくて、耳コピとか譜読みとか、音楽をしていく上で、楽しさも成長スピードも根本的に次元が変わる分野が全部学べる場にしたらいいんじゃね?」

国王「子供の頃、譜読みめっちゃ苦手で凄い苦労したよなぁ。」

国王「曲を弾ける様になった時は嬉しかったけど、新しい曲に取り掛かる段になるとガックリきてた。プレッシャーすごい。」

国王「映放受験生時代、コードと伴奏付けを勉強して、コード+メロディだけで簡単に伴奏付きで演奏できる様になった時、音楽がめっちゃ楽しくなったよなぁ。」

国王「知らない曲の楽譜でも、”どんな曲だろ?”って、ちょちょいって弾ける様になった時、楽しさの次元が変わったなぁ。」

国王「音感が磨かれて、ふと曲聞いた時ピアノで弾いてどんなコードとかメロディとか分析できるようになって、メッチャ楽しくなったよなぁ。」

国王「こういうのを学べるところ、できる様になる所って、現状、音大しか中々無いんだよな。」

国王「でも、音楽を楽しむ、もっとワクワクするのに、音楽基礎力、絶対必要だよなぁ。」

国王「でもそういう所って現状中々無いんだよなぁ。」

国王「じゃあ俺がやれば良くね?」

というわけで、年間契約制でやっていた頃の良い部分は残して更に月1回定例勉強会を開催したりコンテンツとして存在している音感以外の分野でも、何でも質問対応するサービス、「しんちゃんのワクワク音楽王国」を開国しました!

音感以外にも、ストリングスのアレンジや、耳コピの相談、果てには自作曲を持ってきてもらって「意見ください!」とか、「アドリヴでハモれる様になりたいんですけど、どうしたら良いですか?!」とかにも対応していく何でもアリなスタイルで、年間住民税を支払い国民VISAを発行すればしんちゃん国王を音楽アドバイザーとして使い放題!というサービスを始める事になりました。

これが、めっちゃ楽しかった!!!(過去形だけど、当然今もやってます)

国王「これからは個が孤立して、コミュニティのニーズが高まってくる時代」

国王「だったら、こくおーもそういう形でやりたいな!」

国王「こくおーは、どんな文化のコミュニティを作りたいのかな?」

国王「子供の頃からお兄ちゃんにボコられまくってたし、体育会系なのも受け付けなかったしな……」

国王「不安と恐れの無い空間が良いな。否定が無い空間。」

国王「そういえば、子供の頃、幸せな家庭を経験してみたい!と思ってたよな。」

国王「国民同士が超仲良くて、音楽関係ないBBQみたいなイベントも開催されてて、家族連れで参加できちゃう様な第二の家族みたいな雰囲気がいいな。」

国王「でも、ただ安心安全なだけじゃなくて、”どうせ音楽を学ぶなら、トコトン成長し続けたい!!”って思っている人たちと一緒にやりたいな。」

そうして、音楽王国のコンセプト、

「愛を土台とした不安と恐れの無い安心安全の成長空間+音楽をトコトン真剣に学ぶ」という理念に行き着きました。

そして現在は、その価値観に共感する人たちが集まり、その価値観を持った人たちが集う王国になる様に努力しています。

もしあなたが、愛を土台とした不安と恐れの無い安心安全の成長空間+音楽力をトコトン高められる空間に価値を感じられる価値観をお持ちでしたら、(すぐにとは言いませんが)仲間になりませんか?

当然月間住民税が発生する王国ですが、本当に価値観の近い人であれば、国税以上の価値が必ず得られます。

ちなみに王国では、現在30名弱の方が音楽王国民生活を送ってくださり、音感を鍛える取り組みや、耳コピ力を高める取り組み、人によっては、その人が持っている音楽の課題をひたすら国王に質問攻めしてくれる方もいらっしゃいます。

どうしたら国民になることができるの??

それは、まずメルマガに登録してください!

国王から毎日お便りが届きますが、それで国王のキャラや考え方、教えられる事などが見えてくると思いますので☘

作曲家がお仕事で役立てている実用的な音感や、今までは音大や、”音大卒の作曲家とたまたま仲が良くて、しかもその作曲家が親切な場合”しか学べなかった、音楽家としての音楽基礎力のコーチングやストリングスアレンジの指導などをしています。

また、お一人お一人の音楽カルテを作り、その方が目指されている音楽人生での音楽力や現在の課題に合わせて個別にアドバイスをしたりなどなど・・・

ゆくゆくは、国王の作品のスコアやトラックが王国内で自由に共有されて皆で学べたり、国民が作った曲を国民同士聴かせ合って感想を伝え合える様な、「音楽を真剣に学ぶ人同士が音楽の話題で超仲良く交流出来る&学びになる」場にしていきたいと思っています。

更に現在「音楽基礎力研究会」というのを立ち上げ、、「コードを聴き取れる音感」や「読譜力・初見力」など、音楽行為全般をやりやすく・より楽しくさせてくれる音楽基礎力の学習メソッドを開発中です。

この王国は、音楽を学びたいという意思さえ有れば、現在どんなレベルからでも、(時間は掛かるけど)どんなレベルまででもレベルアップできる王国です。

現在「一生音楽を楽しんでいく事を決めている、どうせやるならトコトン音楽力の成長をしたい」という方が集まっています。

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国王が目指している人物像と王国

国王が目指している人物像は、愛に溢れた優しい人(それでいておさえるところはキッチリおさえる)です!

そして、「愛を土台とした安心安全の成長空間」として、「第二の家族の様な場」でその価値観に共感した人だけが集まり、「音楽力をトコトン成長し続けられる王国」を目指して運営しています。

国王自身も、作曲家としてさらなる野望「全世界で国王の音楽が演奏され、国王の知らない所でもプロアマ問わず演奏され続け、スコアとパート譜を全世界にバラマキまくる行為」へと挑戦しています☘

国王が成長すればするほど、国民が受け取れるものも多くなると考えると、凄く大きなモチベーションになっています。

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